先日書いた「ベトちゃんの死」に、写真を追加しました。
先日書いた「ベトちゃんの死」に、写真を追加しました。
PC壊れて書けなかったのだが、この間の悲しいできごと。『ベトナム体感記』6章にも書いたが、ベトナム戦争でアメリカが撒き散らした枯葉剤の影響で生まれた下半身がくっついた双生児、ベトちゃんドクちゃんの兄、ベトちゃん、10月5日、26歳の死。
3月議会が終わって、少しほっとしています。ですが、世の中、県知事選です。公選法の制約でもう名前は書けないが、応援演説にまわってきました。
ベトナムではメコンデルタツアーにもいったし、ベトナムからカンボジア、シェムレアップ空港へ飛びアンコールワットにもいった。この遺跡群には、人類の歴史と文明の底深さに感動したし、温暖でさわやかな気候のなか、ゆったりとした時間を過ごしてきた。
機会があれば書きたいと思うが、載せきれなかった写真のいくつかをお届けし、今回の旅の「体感記」はここまでとしたい。
なお体感記の文中で掲載した写真には、息子や娘の撮った写真もあることをお断りしておきます。
お読みくださったみなさん、ありがとうございました。
戦場のカメラマンたち
およそ世界中でベトナム反戦の運動はたたかわれた。数万、数十万のデモが繰り返され、労働者はストライキで、ビートルズ、ジョーンバエズ・・・数多くのシンガーは反戦歌を歌い、開高健はじめ世界の文学者はペンでたたかった。もうひとつ書き留めておきたいのは、そのなかで報道カメラマンたちの果たした役割である。
戦場で日本共産党の論文が
ベトナムを語るときに忘れてはならないと私が思う二つのことを書きとめておきたい。
物価と料理、お薦めのベトナム

ベトナム戦争とはどんな戦争だったか
ずいぶん昔の話になってしまいました。しかしイラクにみるように、いまも世界につづく他国民抑圧の戦争。ベトナム戦争はなんだったのか、振り返っておくことはムダではないでしょう。私も思い出し、読み返し整理してみて、たいへん勉強になりました。番外編をお届けします。
戦跡博物館とアメリカ人
4日は、ホテルから歩いて戦跡博物館を訪ねた。ベトナム戦争の歴史、米軍が使用した戦闘機から、戦車、武器、弾薬、捕虜を拷問した収容所(虎の檻と呼ばれていたとのこと)など、遺物が展示され、多くの解説員が説明にあたっていた。
ホーおじさんの思想
3日、私たちはクチ戦跡に行った。戦争前、クチは木々や果実にあふれる緑と実りの豊かな土地で、農民たちは平和に暮らしていた。しかしここは、アメリカ傀儡政権のあったサイゴン(いまのホーチミン市)の北70キロという戦略上の要衝に位置し、米軍の激しい攻撃の地となった。
貧困と自国満足度
でも、農民の状態を問う私の質問にガイドはこうも答えた。「まだまだです。機械は少しだけで耕作はほとんど手作業。儲けは少ししかなく農民は大変です」。また医療保険制度について訊くと、「都市部でもまだ半分程度。農村では保険も知らない」のだと。正確な話かどうかよくわからないが、まだまだということは事実なのだろう。
活況のベトナム経済
街は、崩れそうな建物やバラック建て店舗が大きな顔をしていたが、近代的なオフィスビルやしゃれたブティックもあちこちに建っていた。日本企業をはじめ外資系企業の看板が立ち並び、巨大な家電専門店のオープンセールはごった返していた。
第一印象
なんという騒々しい街か、なんと活気に満ちた国か・・、これがホーチミンに入った第一印象だった。
マジェスティックホテル
1月3日夜、私たち家族4人は、サイゴン河畔に建つマジェスティックホテルのスカイラウンジにいた。仕事を終えた帰りだろうか、眼下のサイゴン河には、対岸に渡るフェリーに吸い込まれるバイクの灯が美しく帯を引き、河向こうの巨大ネオンが河面を彩り、行きかうクルーザーの波に揺れていた。