しかし、ジブリのことだ

「ゲド戦記観た?」と聞かれて、そうだ、まだ書いていなかったと気がついた。
観た。アメリカの作家ル・グウイン『ゲド戦記』といえば、世界三大ファンタジー小説のひとつで、「風の谷のナウシカ」をはじめとするジブリ作品のバックボーンともなってきた。その本丸をいよいよ、となれば、宮崎ファンならずとも期待は高まる。『ゲド戦記』全6巻を翻訳してきた清水真砂子さんのインタビュー記事を『しんぶん赤旗』で読んで、なおのこと期待膨らませて・・・。

poster.jpg領民に愛された王、その父を殺し国を捨てた王子=アレンが、天地も人心も荒れすさんでゆく世界で、その災いのもとを探る戦士ゲド、心閉ざす少女テルーと出会う。物語は、災いをもたらすものとの戦いのなかに、人がまっとうに生きるということはどういうことか、アレンに身を借りて問い続ける。
だが、肝心の物語の出発点、なぜ王子は父を殺したのか、その動機、その苦悩、その苦しみの深さが描かれないのだ。いったいこの青年がどうなるの・・・入り口での切なる想いの共有がなければ、その後の展開に、共感、感動、ときには反動、はない。
さすがにジブリだ、絵づくり、音づくり、そして歌の美しさは、堪能させられたが、「ナウシカ」で、「天空の城ラピュタ」で、「もののけ姫」で、と味わい続けてきたワクワク、ドキドキ、そして最後の深いため息が、なかった。平板に終わった。
この「重い」作品を、駿の息子、宮崎吾郎の第一作にしてしまったジブリの不幸を思う。これこそ駿にとって欲しかった作品だった。
しかし、ジブリのことだ、きっとまた素敵な作品をつくってくれるに違いない。

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