戦場のカメラマンたち
およそ世界中でベトナム反戦の運動はたたかわれた。数万、数十万のデモが繰り返され、労働者はストライキで、ビートルズ、ジョーンバエズ・・・数多くのシンガーは反戦歌を歌い、開高健はじめ世界の文学者はペンでたたかった。もうひとつ書き留めておきたいのは、そのなかで報道カメラマンたちの果たした役割である。

ホーチミン市の中心地にある聖母マリア教会
ベトナムには多くの報道カメラマンがはせ参じた。日本人だけでも沢田教一、石川文洋、岡村昭彦(彼のことは妻が教えてくれた)などがあがる。
彼らはもう、かっての「従軍カメラマン」ではなかった。独立したジャーナリストとして砲弾の飛び交う戦場にたった。そしてそこに繰り広げられる戦争の真実、犠牲となっていく民間人の姿を、精神を病んでゆくアメリカ兵を、冷徹な眼で捉え、写し撮った。世界は彼らの仕事を通してはじめて、この戦争の実態を知ったといっていい。彼らの写真が、映像が、映し出す真実は巨大な力をもち、人々の心をたたき続けたのだった。戦場に散った命も少なくなかったが、彼らの多くはピューリッツァやキャパの栄誉が与えられた。戦跡博物館には石川文洋の写真集も展示されていた。

各地にハスの花が咲いていた
そしてこれは、娘が教えてくれたことだが、その彼らが撮りたての写真を持って戦場から駆けつけたのがマジェスティックホテルだったというのだ。UPIなど世界の主要通信社が支局をここに開設、戦場の真実がここから世界に発信されていた。
そのホテルでベトナムのひとときを過ごし、ベトナムと私たちの半生を振り返ることができた幸せは、感謝してもし切れない。







補足:UPIがマジェスティックに支局を開設していたかどうかは知りませんよ。
でも、あの目抜き通りのマジェスティックのような古いホテルに各局が集まっていたことは確かだし、マジェスティックにもきっとどこか入っていたことでしょう(たぶんね)。
マジェスティックは特に沢田教一や開高健の投宿先として有名で(キャパもだったかなぁ?)、開高さんの「ベトナム戦記」だっけ?はあのホテルで書かれたとか。
ああいったバーやカフェが、カメラマン達の情報交換の場だったらしいので、マジェスティック5階のバーには、かなりの有名人達が集まっていたんじゃないかなぁと想像します。それはそれで、興奮する話でしょ?
「地雷を踏んだらサヨウナラ」の一の瀬泰造もベトナム来てましたねー。
Posted: むすめ | 2007年01月19日 10:44
沢田教一、石川文洋、岡村昭彦―、懐かしい名前ですね。私も彼らの著作や映像に触発されて、ジャーナリストを志したという思い出があります。そのホテルに宿泊されたのですね!
Posted: yonago2 | 2007年01月18日 22:47