貧困の構造は世界共通か

サンフランシスコにミッションという地区があります。メキシコがアメリカとの戦争に負けてその領土のほぼ半分を割譲する以前、まだカリフォルニアがメキシコ領だった時代、さらに言えばそれ以前、スペイン植民地だった時代の、カリフォルニアの中心地です。
今もなおヒスパニック系の住民が多く、ここの公用語はスペイン語か!?といった状態ですが、スペイン時代の栄光とはうって変わり、「Pay day loan」という、サラ金のような業者が軒を連ねる、低所得者層居住区となっています。とはいえ、あまり天気がいいとは言えないサンフランシスコにおいて、いつも太陽が輝き、どこでも陽気な音楽が鳴り響き、中南米料理が美味しく安く食べられる、魅力的な街でもあります。


ボミーアレイ通り
そのミッション地区に、この小さなボミーアレイ通りはあります。1900年代初頭、独立後、世界に追いつこうとひたすら西洋化の道を走ってきたメキシコが、インディオとスペイン人、さらにアフリカからつれてこられた黒人奴隷の混血というアイデンティティを確立すべく、ミューラルアートという壁画芸術に力を入れました。有名な画家はディエゴ・リベラですが、フリーダ・カーロの旦那と言ったほうが分かりやすいかもしれません。
ボミーアレイ通りは、その道の両側の壁が、すべて壁画で飾られている、という、ほんの1ブロックの通りながら、なかなか興味深い道です。エルサルバドル内戦時の戦火の下の子供たち、内戦の解決に力を注ぎ暗殺された聖ロメロ卿、等の社会的な絵画から、マヤやアステカの伝説を描いたものなど、さまざまな絵が描かれていますが、なかでも興味を引かれたのは、右手に豊かな大地と農夫と野菜が描かれ、左手には燃える家や軍靴、身内を亡くした人々が描かれた壁です。空っぽのお皿をひざに置いて、うつろな目をした女の子が座りこんでいる、その木箱には「For export only(輸出専用)」と書かれています。
以前に読んだ本に、「人々が飢えのために死んでいっているアフリカから、ヨーロッパに食料が輸出されている」と、書かれていたのを思い出しました。ラテンアメリカ史でも、メキシコ政府がインディオをグローバル化を阻む存在として、彼らの豊かな土地を取り上げ、鉄道の敷設や、海外資本のプランテーションへと転用していった経過を学びました。
まさにNAFTA発効の日に蜂起し、グローバリゼーションへの抵抗とインディオの権利を求めたサパティスタも、最も貧しいといわれるメキシコ南部のインディオ達を中心としています。
そのようなことを思い出しつつ、ふむ、世界共通の貧困の構造というのがあるのだなぁ、と、ボミーアレイ通りで日本人が1人ぶつぶつ言っているわけです。
----------------------- (定岡)由紀子・サンフランシスコ在住)

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