南方熊楠

一昨日、紀伊田辺駅に降りた私は、この街が南方熊楠(ミナカタ・クマグス)ゆかりの地であることを知って驚いた。顕彰館もあった。
ご存知の方も多いと思うので、紹介は南方熊楠顕彰館に譲るが、数年前、高知にいったとき牧野富太郎記念館で彼の仕事ぶりを知ったときから、在野の精力的な植物研究者として、心にとまる人物だった。そこで・・・・

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館内の様子

昨日、田辺市役所でのヒアリングを終えたあと、わずかな時間だったが顕彰館にいってみた。市役所の方から手配してくださっていたようで、学芸員の方と熊楠の遠縁にあたるという方が出迎えてくださった。
展示によれば、彼は8歳にして『和漢三才図会』『本草綱目』などを筆写したという。今の東大に学ぶも中退し、アメリカにいき農学校に学ぶ。フロリダ、キューバと地衣類、粘菌などを採取、新種も発見。その後ロンドン、大英博物館に職も得て研究に没頭。明治33年、33歳で帰国。以降、熊野を拠点にキノコや地衣類の研究、さらに民俗学にも見識を広げ柳田国男とも親交を結ぶのだった。
彼の研究の場でもあった庭に案内していただいた。そこに柿の木があった。生木につく粘菌があることを発見した柿ノ木だった。それまで粘菌は朽ちた木にしかつかないという常識を変えるもので、その菌は、「ミナカテルラ・ロンギフィラ」と、彼の名(ミナカタ)を冠して世界に紹介された。
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漫画『猫熊』など

日々の変化は数ミクロンというその変形菌の発見は、毎日24時間、幾日にもおよぶ観察の結果だったという。購入した本には、ブリキの胴乱、竹で作ったビク、圧搾機を担った男二人を従えたゆかた姿、わらじばきの写真があるが、こんな出で立ちで熊野の山中を、一月、二月と歩き続けたのだ。当たり前のことだが、研究とはこういうものなんだあと、いまさらながらに思う。彼が採集した標本やスケッチ、資料は25,000点にもおよび、この顕彰館に所蔵されている。
境港からと知って学芸員の方が2冊の本をもってこられた。水木しげるの『猫熊』という漫画(上・下)。なんと南方熊楠の生涯を描いた作品だった。『日本妖怪大全』も展示されていた。
未知なるもの、まだ見ぬものを求めて深山を捜し歩く姿は、「妖怪」だったかもしれない。

Comments.

aq1947さん。いつもコメントありがとうございます。知的好奇心なんて! たぶん浮気性なだけですよ。貴方のように深く追求し続ける中身を持ちあわせない・・・・だけの!

sadaさんもかなり知的好奇心の強い方ですね。
確かに学問の先見性から、彼は『妖怪』だったのかもしれませんね。
ところで田辺市はかなり情報公開に先進性がありそうですね。サイトにも各種の情報が掲載されています。
財政などもかなり公開されていますね。これが正しい情報公開にあり方だと思います。

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