3)陽気なこと、陽気なこと

「下痢、治りましたか?」、「遠くへいらっしゃってたんですね。楽しみにしていますよ」・・・昨日、であった方たちからお声をかけていただいた。 点滴も受けてきましたが、お腹の調子も取り戻しました。いよいよ”キューバ友好の旅”の連載を始めます。どんなことになりますやら・・・。 (8月6日朝)
一番の感想は、キューバ国民の明るいこと!人懐っこい!ってこと。ちょうど7・26革命記念日前後の休暇だったことがあるのかも知れないが、街の広場や公園は、木陰でくつろぐ人々でいっぱいだった。 行き交う人が「オーラ!(ヤアってぐらいのあいさつ)」って声をかけ、カメラを向けて「fotos ok?」というと、大概、喜んでOKだ。派手なリアクションまでつく。 そこかしこで音楽が鳴り響く。

人々の表情は穏やかで、暗さがない。中南米特有の楽天的性格にもよるのだろうが、いっしょに歩いていた原田明美さんは、「暮らしに不安がないってことなんだなあ」と感心していた。


であった若者たち/クリックしてみて

説明によれば、労働者の給料は仕事の種類によって違うが、同じ仕事をしている人は同じ金額で、労働組合と政府との交渉で決まっていく。3年ほど前にもアップされたとのこと。10年程前は100ペソ(*1)だった最低レベルの人たちの給料は、いま、確か月200ペソだったと思う。
米、豆、油、せっけんなど食料や生活に必要な雑貨は、世帯人数に応じて配給され、子どもや高齢者や病人などのミルク、肉、卵などは特別支給される。価格は50年間変わっていないという。電気、ガス、水道などは安い。税金もない。

道端でゲームに興じる

「いま給料が充分でないのは事実。だが、医療は無料で教育も無料。私の子は大学にいって博士号をとったが、すべて無料でやってきた」と、諸国民友好協会のミゲルさんは語る。
「革命後は特別期間(*2)でも一回の未払いもなかった」とミゲルさんは得意満面に、言ったのだ。
日本人の私たちの感覚からすれば、暮らしの水準はまだまだと言えるだろう。大学の助教授でもあるスサーナさんは「私の給料は600ペソで高い方だが、人の暮らし様はさまざまで、楽ではない」とも語っていた。

広場のレストラン

しかしその国なりに最低生活を営む収入がほぼ保証され、医療費無料などいざというときのセーフティネットがあり、いまは充分でなくても先に良くなってゆく希望が社会にあれば、人はこうして歌って踊っていられるのではないだろうか。
そういえば、スサーナさんはこうも言っていた。「以前、私はロシア語の先生や通訳をしていました。しかしソ連崩壊でまったく環境が変わった。国は別な言語習得のために2年間賃金を保証してくれました。それで私は日本語を学ぶことができたのです」と。
観光バスに向かってまで、沿道の人々は親指を立て「オーラ!」だ。私も応えるのだが、彼らの視線はいつも私の前にいる若い女性、原田さんだった! ウン、ニャロメ!

(*1)キューバでは外資導入のため1993年にドルを解禁してから、兌換ペソという通貨と国内でしか通用しない一般ペソとの二重通貨システムとなっています。ここでいうペソは一般ペソのこと。1ペソは概ね5円とお考えください。
(*2)1991年、ソ連・東欧の崩壊は、石油や食糧などソ連圏に依存していたキューバに大変な困難をもたらした。たとえばあらゆる経済活動のもととなる石油が、年間1300万トン消費していたのに500万トンしか確保できなくなる。車の往来は途絶え、一日の半分は停電した。スサーナさんによれば、「見てください。いまは牛馬がたくさんいますが、この広大な牧場に1頭の牛もいなくなったのです」という。
キューバは、自給自足経済の強化と観光産業による外資獲得など、さまざまな改革をおこない経済的自立へ歩むのですが、この困難な期間を「特別期間」とよび全国民で乗り切った。

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