7)建国と革命の記念碑

キューバは1492年、コロンブスによって「発見」された。着いたのはいまのオルギン辺りとのことだが、かれは、「人間の目がみたいちばん美しいところ」と評したのだという。
スペイン人による植民地とされ、島にいた20万とも30万人ともいわれていた先住民族は、強制労働や疫病によってほとんどが絶滅したといわれる。イギリス、フランス、ポルトガルなどの海賊の度々の襲撃の場にもなり、モロ要塞などが建設された。


ホセ・マルティ彫像
サンチャゴ・デ・クーバ

スペイン植民地として19世紀半ばには世界最大の砂糖生産地となったが、その圧制に抗する民衆の闘いとスペインからの独立の運動がおきる。この独立戦争の精神的支柱、指導者となり、キューバ史における英雄としていまなお、国民的尊敬の的になっているのが、ホセ・マルティ
1898年 米西(アメリカとスペイン)戦争の米国側の勝利で、1902年、キューバ共和国が成立し、キューバは400年に及ぶスペイン支配から解放され、独立を勝ち取った。
しかし、それは米国支配の始まりでもあった。1901年、キューバ国憲法に米国の内政干渉権が書き込まれ、グアンタナモ軍事基地を置くことが盛り込まれていた。アメリカ資本が数多く進出し、精糖産業など多くの資源産業をアメリカ企業が支配することになった。

列車襲撃記念碑
サンタ・クララ

1952年、アメリカ政府と結託したバティスタがクーデターで政権を奪取し、バティスタ独裁政権が誕生。アメリカがキューバの富を独占するようになった。
1953年7月26日、アメリカからの独立、バティスタ政権打倒へ、弁護士フィデル・カストロたちが蜂起(モンカダ兵営襲撃)したが失敗に終わる。

チェ・ゲバラ記念碑
サンタ・クララ

亡命したメキシコで、カストロはアルゼンチン人医師のチェ・ゲバラと運命的な出会いをおこなう。彼らは1956年12月にヨット「グランマ」号によるキューバ上陸をおこない、2年余りのゲリラ闘争を行った末、1959年1月1日、ついにバティスタを国外逃亡に追い込んだ。キューバ革命政権の誕生である。

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