昨年暮れ、秋田県知事が学力テスト市町村別結果を一方的に公表したが、秋田県教委は5日、教委の総意として知事に「きわめて遺憾」とする申し入れをおこなった。詳しくはこちらで。
今日は、私の12月議会一般質問より学力テストに関する部分を要約、紹介しておきます。

大山・大神山神社裏より元谷方面を望む
(1)県議会で議論されている情報公開条例改正案は、請求者に市町村別、学校別テスト結果を開示するが、「児童等の心情に配慮し、特定の学校または学級が識別されることにより、学校の序列化、過度の競争が生じないように情報を使用しなければならない」と定めるというもの。
教育現場の圧倒的な意見を代表し、「過度な競争や、国が実施するテストの適正な遂行に支障を及ぼす恐れがある」として、平成19、20年度分の市町村別、学校別テスト結果の非開示を貫いてきた県教委の方針を変更するもので、“競争”と“点数評価”のなかにしか子どもたちの未来を見ることのできない視野狭窄に陥った人々の開示攻勢に屈服したものというしかない。
60年代に行なわれた学力調査では、結果は公表されなかった。それでも結果は知れ渡り、学校が狂騒状態になり、テストの得点ばかりにこだわり、それ以外のものを重視しないようになった、テストは序列をつけるための手段として利用された。
残念ながらいまの日本社会には、悪意ある請求者の存在を否定できない。制限規定に罰則はなく、この情報公開条例の改正が、学校別や学級別の結果公表の引き金になりかねない。学校バッシングや高い正答率の獲得のみが教育の目的になり、出来ない子の排除や試験監督官の不正といった、およそ教育にはあるまじきことが、いっそうひどい形で蔓延し、学校や地域間の競争と序列化を激しくすることになる。
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(2)義務教育の機会均等とその水準の維持向上をはかり、児童生徒の学力を把握するための分析的な学力調査の必要性をすべて否定するものではない。しかし、一昨年から始まった全国学力テストとその結果公表の動きは、子どもたちと教育現場の願いから始まったものではない。“競争第一“という市場原理のもと、「学校評価のため、全国学力調査を実施し、学校間の競争を促進する」という財界主導の経済財政諮問会議の意向にそって始まった、極めて政治的なものだ。あの口汚い橋下大阪府知事を先頭にした推進勢力の、脅迫やカネで現場を押さえ込むようなやり方をみれば、そのどこに教育的観点があるかと悲しくなる。
学校の主役たる子どもたちの視点、そこにかかわる教育の現場からみて、全国一斉学力テストが子どもたちの学力向上にとって、ほんとうに必要なものかどうか、意味あるものかどうか、が重要。
教育基本法や国連子どもの権利条約がいうように、教育とは「人格の完成」を目的とするもの、「子どもの人格、才能および精神的および身体的な能力を、その可能な最大限度まで発達させる」ものです。ひとり一人の子どもは全部違う。違うそれぞれの子どもたちに向き合って、その子たちの可能性を見出し、その成長を手助けしてゆく仕事だということからいえば、競争原理は、およそ教育の対極、真反対に位置するものであり、逆に、心はぐくむはずの教育現場をおおもとから腐らせてしまうものだ。
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(3)日本弁護士連合会は今年2月、全国一斉学力テストについて、「子どもたち全体が学校現場における過度の競争にさらされ、継続的な肉体的・精神的負荷を抱え込み、全人格的な発達を阻害されるばかりか、障害のある子どもは差別を受けるなど、一人ひとりの個性に応じた弾力的な教育を受ける権利を侵害されるおそれが大きい」と警告した。
教育現場はこの間、テスト結果の開示・非開示でゆれ続けてきたわけだが。もともとのいっせいテストに参加しなければ良いのであって、来年度の学力テストへの不参加を求めたい。
明日は、『旭川学テ訴訟判決』を引用した追及質問の部分を紹介します。







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