一昨日、全国いっせい学力テストのことについて書きました。「テストで成果を計るのがなぜ悪い?」、こんな意見が少ないわけではありません。
一昨日、県教委が進める境港市二つの高校の学級数削減問題で関係者の方と話しました。その方がこう言いました。「全県の縮小方針がでたときに気がつかなければいけなかった。総論で認めておいて自分ところに降りかかってきたから反対って言ってもね」。

九条科学者の会のつどい
以下の引用は、ノーベル物理学賞受賞者、益川敏英さんが、3月8日、明治大学でおこなわれた「九条科学者の会」4周年記念のつどいでの講演のごく一部(しんぶん赤旗より引用)です。
ここで益川さんは、科学者のこととして語っているのですが、私たち議員や公務員、教師などにとってもたいへん大事なことを語っているように思えるのです。
戦争と科学者、戦争体験と想像力についての質問に答えて
戦争の科学と平和の科学の区別はありません。70年代の初め、60階建てくらいの非常に高いビルが建ち始めたころ、テレビのゴーストが問題になった。ある会社が電波を吸収する非常に高性能な塗料を開発し、その塗料が見えない戦闘機に使われた。その時、開発した科学者に何ができるか。一市民として自分が持っている知識をベースに社会の中でどういう発言がしていけるのか、一番最初に知りうる立場を利用してどういう活動ができるのか、それはやはりその人の良心、市民性、それをベースにした市民運動です。市民としての役割は何ですか、自分の活動時間の十分の一でも割いて、こういう運動をと働きかける中核が恒常的にないと。科学者の果たしうる役割はそういうところじゃないか。
◇
(私の体験は)小さな経験だけれども、焼夷弾が自分のとこに落ちて不発弾だった、ただそれだけです。しかし、そのことを通していろいろ想像してみると、たいへん怖い経験だったなと思う。あるかけらを見た時に、そこから全体像をどう想像できるか、それは人間だからできることです。戦争についても、ある鋭い目で見た時に見える予兆があるだけだ。その段階でやはり反応しなくてはいけない。
それは最終的にはその人が持っている文化度であり、理性の力であり、そういう人間としての理性的なことだと思います。いったいこれはどういうことなんだと思いをはせるような、そういう想像力だと思いますね。
いま危険な”かけら”が次々と身の回りに散乱する。たとえば【学力テスト】というかけら、たとえば【保育園の民営化】というかけら。たとえば【海賊対策】という名前の海外派兵。それぞれにもっともらしい理由を掲げて乱れ飛ぶ。
私たちはその”かけら”から、まだ見えぬ全体像を見つけ出しているだろうか。そういう「文化度、理性の力」を持ちえているのだろうか。そして、「人としての良心」をもって、市民社会のなかに働きかける中核になりえているのだろうか。
じっくり、幾度も読み続けていきたいものです。







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