先日、杉原千畝のことを「日本のシンドラー」と書いたら、娘から”シカゴにホロコースト博物館が開設され、そこにスギハラコーナーも”というコメント。そしたら昨日のしんぶん「赤旗」にそれを伝える記事がありました。
そこで今日は、その記事と「シンドラーのリスト」の実物が今年09年4月、オーストラリアの図書館で見つかったという話。

杉原千畝氏の展示コーナーの前で撮影に応じるサミュエル・ハリス代表(左)とリチヤード・サロモン氏(右)=4日。しんぶん赤旗より
米・ホロコースト博物館開館
杉原千畝氏の功績紹介
【シカゴ=時事】スギハラはみんなに希望をももたらす・・・。米イリノイ州シカゴ市郊外に4月、ホロコースト(ユダヤ人大虐殺)の歴史を後世に伝える「イリノイ・ホロコースト博物館・教育センター」(サミュエル・ハリス代表)が開館しました。
日本政府の命令に背き、外交官として多数のユダヤ人を救った故杉原千畝氏の功績をたたえる一角も設けられています。
杉原氏はリトアニアに外交官として勤務していた1940年、ナチスの迫害を逃れようと海外に活路を求めるユダヤ人に対し、独断で大量のビザを発給し、多くの人命を救いました。同博物館の建殻に尽力したリチャード・サロモン氏によれば、杉席氏が直接的に救った人数は約6千人、その子孫は30万人を超えます。
杉原氏のコーナーには現在、サロモン氏らが日本に出向き、外務省から借り受けたビザの発給リストなど当時の資料や本人の写真を展示。サロモン氏は、自分の父親が杉原氏に助けられた事実を明らかにした上で、「真の勇気に基づいた行為であり、本当に特別で有意義だ」と高く評価しています。
スティーブン・スピルバーグ監督の映画『シンドラーのリスト』、感動をもって観られた方も多いのではないでしょうか。わたしは、あの最後のシーン、救いきれなかったユダヤの人々を前に、詫びるシンドラーに、ユダヤ人が感謝の言葉として語った「1人を救うものが、世界を救えるのです」という言葉がずっと心に残っています。
そう、また、公務労働、あるいは私たち政治にかかわるものの教えとして心に刻むのですが、目の前のひとりの命や暮らしに心痛めない人に、市民みんなの命や暮らしを守る仕事はできないのです。
この記事、記憶のために転載しておきます。

ビルケナウ収容所の監視塔。「死の門」とも呼ばれた
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【シドニー=AFP時事】オーストラリア・シドニーにあるニューサウスウエールズ州図書館は6日、スティーブン・スピルバーグ監督の映画で有名な「シンドラーのリスト」の実物が見つかったと発表しました。映画の原作者である豪州の作家トマス・キニーリー氏の資料を整理する中で発見されました。
同図書館によると、見つかったリストは全13ページ。第二次大戦末期の1945年4月18日にタイプされた原本の写しでドイツ人実業家オスカー・シンドラーによってナチスの強制収容所から救われたユダヤ人801人の名前が載っています。
図書館の調査では、キニーリー氏は80年、このリストに173番として記載されている元ユダヤ人労働者レオポルド・ベッファーベルク氏からこのリストを渡され、シンドラーの物語を作品にするよう強く勧められました。小説完成まで肌身離さず持ち歩いていましたが、後に他の資料と共に売ってしまいました。
図書館はこの資料の一群を96年に買い取り、整理を進めていました。同図書館によると、シンドラーはたびたびリストを作成しては、ナチス側と交渉、最終的に千人以上のユダヤ人を救ったといわれています。
こちらからリストの写真が見られます。
同図書館によると、見つかったリストは全13ページ。第二次大戦末期の1945年4月18日にタイプされた原本の写しでドイツ人実業家オスカー・シンドラーによってナチスの強制収容所から救われたユダヤ人801人の名前が載っています。
図書館の調査では、キニーリー氏は80年、このリストに173番として記載されている元ユダヤ人労働者レオポルド・ベッファーベルク氏からこのリストを渡され、シンドラーの物語を作品にするよう強く勧められました。小説完成まで肌身離さず持ち歩いていましたが、後に他の資料と共に売ってしまいました。
図書館はこの資料の一群を96年に買い取り、整理を進めていました。同図書館によると、シンドラーはたびたびリストを作成しては、ナチス側と交渉、最終的に千人以上のユダヤ人を救ったといわれています。







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