ハトマンダー

4年前にはドーっと自民、こんどはドーっと民主。「日本人ってあきれるね」という感想も聞かれる。反論する気はないが、そのように助長してきたシステムが問題じゃないかなあ。それが二大政党政治のテコとなった小選挙区制。
そこで、比例得票で480議席を単純に按分してみたら・・・・・・

下記の表のようになった。共産党はなんと33議席。これがほんらいの国民の意思だ。

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民主党は100議席も余分に議席を得たことになり、比例代表180、小選挙区300のいまの制度でさえ、国民の意思をどんなに曲げたかを示している。
ところで「ハトマンダー」、かって小選挙区制論議が高まった折々に私たちはよく使った言葉だが、いまもう知らない方たちも増えているのではないだろうか。まもなくくる鳩山由紀夫首相誕生の記念に書いておきたい。
「ハトマンダー」とは、1956年に小選挙区制導入を図って由紀夫氏の祖父・鳩山一郎内閣がつくった公職選挙法改正案のニックネームで、アメリカの「ゲリマンダー」にちなんで、「ハトマンダー」と呼ばれたのだった。
ハトマンダーは、「衆議院で改憲勢力が三分の二以上を獲得して憲法改正の下地を整えることが目的」(Wikipedia)だった。そのときは与党内からも反発があがり、成立しなかったのだが、その後の比例代表並立小選挙区制度の導入を経て、こんどは比例定数の削減=事実上のハトマンダーが孫、由紀夫氏の手によって・・・・・。
「恐竜」の復活を許すな。

【9月2日午後4時・追記】
コメントをいただいて、「カネダのニュースクリップ」というブログを、失礼ながら初めて知りました。たとえば、ココ、『改憲と小選挙区制の戦後政治小史』というエントリーで選挙制度を詳細に論じていらっしゃいます。ご紹介しておきます。ぜひ、お読みください。

Comments.

~ 前略 その意味でも小選挙区制は廃止するしかないと思うのだが、比例代表にも政党が選んだ候補者を有権者は選べないという弱点がある。小選挙区も比較第一党の出した候補者が当選確率が高く、そのほかの候補者を有権者が選びにくいという弱点があるように、比例も小選挙区も政党本位であって人物本位ではない。両極端は相通じるのだ。はっきり言って政党にもいろんな人物がいる。党にとっては都合のいい人物だとしても、有権者にとって有能かどうかは別問題である。それを見極めるのが選挙である。中選挙区時代は、候補者を所属政党とともに人柄・政策を勘案して有権者が選ぶ自由があった。 後略 ~

 あるサイトに、中選挙区制の復活を唱える上記の主張が載っておりました。ポイントは「候補者を所属政党とともに人柄・政策を勘案して有権者が選ぶ自由があった」という部分でしょうか。
 
 ところで、「全国ひとつの比例代表選挙を! と書いたつもりではありません」とありますが、ここは管理人様が桜井様の記されていることを正しく読み取られていないのではないしょうか。桜井様の記す「完全比例代表制」とは、国会の全議席を比例代表制という選挙システムで決定することを言われているのであって、選挙区を全国一つにするということを言っているのではないと思います。選挙区を全国一つにしようとブロック分けしようと、全議席を比例代表制で決定することには賛成できないと言われているのだと思います。

 話を戻します。
 「どの政党に身を置くかで、候補者はその見識を示し、またどんな人物を候補者とするかで、政党はその資質、品格を示すのではないでしょうか」と記されております。その通りですが、この指摘はどんな選挙制度にしても該当することであり、比例代表制が他の選挙制度よりも優れている根拠にはならないと思います。また、どの政党にも立派な方とそうでない方がいて、どの政党も立派な方とそうでない方のそれぞれが候補者になっているのが現実ですから、政党の資質なり品格なりをスバリ言い示すことは難しい。確かに自民党は、議員以前に候補者とすることにも疑問符の付く人物までも安易に擁立しますが、共産党は違うのかと言うと、私は決してそうではないと感じています。残念ながら、私の居住地の選挙区では「何でこの人が?」と思うような方が共産党の候補者だった時もありましたので。ちなみに私は、支持政党は共産党でも選挙区選挙ではその候補者には投票せず自民党の候補者に投票しました。幸い自民党の候補者は、森善朗氏のようなタイプではなく、日頃からの関わりの中で「信頼できる人だ」との確信もありましたので。
 こうした事例や上記の引用にもある通り、どの政党にもいろいろな人物がいますし、また、特に地方に行けばいろいろな利害関係がありますから、候補者をその所属政党で選べることはもちろん、それ以外の側面からも選択できる余地を残しておく必要はあると思います。「政党で選ぶ」「人物で選ぶ」など、選択基準は多様であるべきでしょう。選択基準の多様性を担保することが「民意の正しい反映」の前提だと考えるからです。この考えに合致する選挙制度は中選挙区制しかないと確信しています。比例代表制については、中選挙区制を基本軸としたうえで、それと併用するのであれば反対ではありません。

桜井さま、国志館さま、コメント、ご意見、ありがとうございました。お返事が遅れましたが、平常ペースに帰ってきました。
ここで書いたのは、露わになった小選挙区制度の弊害の大きさを示したかっただけです。全国ひとつの比例代表選挙を! と書いたつもりではありません。
日本共産党は、衆議院のあるべき選挙制度としては、「衆議院選挙制度を全国11ブロックの比例代表制」を主張しています。
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小選挙区制の弊害は明確。『中選挙区制』がより良いことに異論はありません。ですが政党政治のもと、“民意の正しい反映“という基本にたてば、いちばん望ましい選挙制度がどんなものかはおのずと明らかではないでしょうか。
桜井さまの
>実体として存在し活動するのは人間だ。実際には「何党であるか…」ということよりも「人間としてどうか…」ということのほうが重要に思う。

というご意見についてですが、私、じつに不勉強なことで、さしたる意見をもっているわけではありませんし、共産党の主張が、ではなぜ、11ブロックなのか、もよくわからないままでいますが、どんな仕事であろうと、人間としての品格、資質、人としての魅力が大切なことはその通りです。
しかし、選挙を通じて私たち国民が政治家に託すのは、つまるところ「政治的判断」です。その「判断」のしようによって人はある政党に所属し、またある人は別な政党に属します(属さない人もいますが)。どの政党に身を置くかで、候補者はその見識を示し、またどんな人物を候補者とするかで、政党はその資質、品格を示すのではないでしょうか。
そして選挙を経た国会の政党状況、擁する議員数の多寡によって、私たちの暮らしと国の進路が決まっていきます。政党選択を基本にすえることに、大きな疑問を持たないのですが、どんなものでしょうか。
またご意見お聞かせください。

 管理人さま、初投稿です。
 さて、選挙制度についてですが、私も中選挙区制の復活に期待しています。
 無手勝流(無所属のこと)に共産党から自民党右派まで幅広い人材が国政に集まれるシステムに戻すことが政治の活性化であり、それが民主主義の成熟と国民生活を向上させる第一歩であると考えるからです。

桜井さま。一昨日、昨日と忙しいことがあり、いただいたコメントに気がつくのが遅れてすみませんでした。
ていねいなご意見、ありがたく読ませていただきました。お返事をと思うのですが、今日、明日、いよいよの質問戦です。気が落ち着きません。
後日のお返事とさせてください。

 小選挙区制には反対だ。しかし共産党の唱える完全比例代表制にも賛成できない。と言うのは、その制度だと「政党が選んだ候補者しか有権者は選べない」ということになるからだ。
 例えば、自民党では小選挙区制になって以降、公認権を持つ党執行部の権限が強まり、それまであった党内での多様性が失われたというように、小選挙区制は政党が政党に都合のいい人物を候補者とする政党本位の制度だ。実は比例代表制も同様で、政党に都合のいい人物が候補者となる。
 だが、政党に選ばれた人物が有権者にとって議員にするにふさわしい人物であるとは限らない。比例代表制だと、そういう人物を有権者の意思で落選させることができなくなる。また、地域社会の中で人々から尊敬され、地域社会の多くの人達から「あの人をぜひ国会に」と思われるような人物も、政党に所属しなければ候補者になれないということになる。地域社会の中で尊敬され一目おかれるような人物は、個人の政治的主張や立場で尊敬されているわけではない。そうしたことは抜きにして、人間として高く評価できる人物だからこそ尊敬され「国会議員になってほしい」という声が生まれる。
 例えば、市町村議会の選挙では、保守地盤の強い地域でも、政治的立場の違いを越え、地域社会の多くの人々に尊敬されてトップ当選する共産党の候補者がいる。そういう人は、政党ではなく“個人の魅力”で選ばれている。国政選挙も同じとは言えないが、そういうのがあってもいい。だが、完全比例代表にすれば、そういう可能性はなくなる。確かに共産党の議席は増えようが、他方で候補者の“個人の魅力”で共産党であってもその候補者に投票してくれている他党支持の有権者を切り捨てていいものか…。政党政治である以上、政党も重要だが、実体として存在し活動するのは人間だ。実際には「何党であるか…」ということよりも「人間としてどうか…」ということのほうが重要に思う。完全比例代表にして、候補者を人間として評価し選択する機会を奪うことについては小選挙区制と同様に反対である。
 やはりベストは中選挙区制だ。有権者が自らの意思で候補者を選択できる。また、小政党はもちろん無所属候補者にもある程度の当選可能性が保証される。伊達に長く続いた制度ではないのだ。今こそ、この制度を復活を望む。

カネダさま、始めまして。コメントありがとうございます。お邪魔してみました。ていねいな論説に感心しました。これからも勉強させていただきます。
久野さま、「ブロック比例制」ではなく、書いたように実に「単純」に按分してみただけです。ご容赦ください。
ますます多様化する社会の民意の正しい反映こそ、いちばん民主的な選挙制度です。比例定数の削減を主張する「民主」党の名前が泣きますよね。

『赤旗』に掲載されていました、【ブロック比例制】と違うのでしょうか。

それでも候補者でなく、政党選択選挙を推し進めるという意味での「比例選挙制度」が一番、白票・死票を減らして、国民の大勢の意志を汲み取るのに有効な制度ではないか、と実感させられます。これこそ真の民主主義というものでしょう。

しかし日本の政治は、政治家の利権で今まで動いてきました。中選挙区から小選挙区への変更もそうなんでしょう。いかに【国民の意思を国会に反映させるか】を考えたら比例制度こそ理想ですね。しかし無所属候補の扱いには考えさせられますが…。

とにかく定岡先生の私案どおりならば、今回も前回もさほどの差は開かなかったものと思います。どうしたって日本はアメリカと違って多党制なのですから、多くの政党が、議員が自由に発言・討論して日本の未来の為に働いてもらうためにも、理想の制度ですね。

定岡先生つぎの参院選挙に出馬されて、この考えを実行されてみてはいかが?

私も議員定数の削減は現代版ハトマンダーだと思います。
ハトマンダーと同じく挫折すると良いのですが。

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