言い訳が続きますが、あっという間に時間が過ぎ、たいしたこともできないうちに日が流れ、選挙戦も告示までいよいよ1週間。町には公営掲示板気も立ち、私のポスターも出来上がり、気がそぞろで更新が途絶えています。
この間、ハイチで想像を絶する大震災がおき、17日は阪神大震災の15年目でした。被災者救援に姫路まで駆けつけたことを思い出します。
いろいろな感慨がありますが、感動の一文をご紹介します。
知ったのは、いつも紹介している 村野瀬玲奈の秘書課広報室。
震災時の感動の一こまというにとどまらず、人が生きるとはどういうことか、人が暮らす街とはどういうことか、文化とはなにか・・・いろいろ学ぶことができます。
私のところでは全文紹介しておきたい。
阪神淡路大震災の想い出 和太鼓のこと
虹の日記(byどろ)より
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水曜日、休暇を取って、姫路市の文化講座の一環で、和太鼓教室の講師をやりました。
自分と和太鼓の関わりは15年前の阪神淡路大震災がきっかけでした。
いまでも忘れられない光景が瞼に焼き付いています。
あれは6人ぐらいで、公園で演奏していたときのことです。
焼けて真っ黒になり、崩れかけたビルの隣にある公園でした。
特に宣伝もしていないのに、太鼓を叩き始めると人が集まり始めます。
お客が集まると演奏に力が入ります。
予定の時間になって演奏を終了する頃、「なんや、太鼓が聞こえるさかい来たのに、もう終わりかいな~」と歩み寄ってきた男性がいました。
すると観客の中から「おーっ!」と大声をあげて飛び出してきた人がいました。
二人は顔を見合わせて、「うお~っ」と叫んでいます。
「お前、生きとったんかっ!」
二人は人目もはばからずに抱き合って泣いていました。
♪太鼓たたいてひとさま寄せて、わしも会いたい人があるよ。八丈島太鼓の甚句の一節ですが、まさしくそのとおりのことが目の前で起きているのでした。
◇◇◇◇
震災後、私が言い出しっぺになって、所属している合唱団の仲間に手伝って貰い、長田の避難所の毛布を洗濯するボランティアをしていました。
すぐ近くにある鷹取教会の牧師さんから、何かみんなを元気づけるようなことをしてくれないかと頼まれたのは、震災から3週間目です。
自分を合唱団メンバーで作っているボランティアだと自己紹介したからでした。
そうはいっても、まだ喪も明けていないんだし、みんな生活のことなどで一杯一杯なのに、大丈夫ですかと聞き返すと、こんな時だからこそ歌が必要なのだと言います。
歌がダメなら楽器でも芝居でも何でも良いから、この焼け跡の街に文化を持ち込んでくれと。
それなら街頭で和太鼓演奏をやろうということになりました。
うちの合唱団には郷土芸能部というのがあって、メンバーは一応全員が和太鼓や民謡などをやることになっていたのですが、自分は太鼓がいまいち好きになれなくて、ほとんど練習もしていませんでした。
でも仕方がないから付け焼き刃で練習して、はじめ、避難所で演奏しました。
驚いたことに、私のへたくそな太鼓にみんなが大喜びしてくれるではありませんか。
また来週もやってくれと頼まれてしまい、そうなると、もう後には引けません。
少人数ではじめた街角演奏会でしたが、本格的に出張演奏をしようということになりました。
うまいメンバーが大勢集まり、一回四十分程度の演奏会を三ヶ所でやりました。
どこで演奏しても、とても喜んで貰えました。
観客が寄ってきて、口々に「ありがとう、ありがとう」と礼を言われます。
「ええもん聞かせてもろた、有り難うな。」
泣きながら手を合わせて、「元気が出たわあ」と言ってくれる人もいました。
太鼓をさすりながら、「ええ音するなあ、祭みたいやなあ」とつぶやくおばあさん。
たかが太鼓が、こんなにも人に感動を与えることが出来るのかと、参加したメンバーの誰もが思ったそうです。
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あれから15年。
いま長田の街はきれいになりました。
けれどもあの時に太鼓を聞いてくれた人の多くは、いまはもういないそうです。
再開発で住むところがなくなり、沢山の人が転居していったからです。
たくさんの安アパートが倒壊し、不在地主があっさりと神戸市の立ち退き要請に応じたせいです。
仮設住宅はへんぴな所に作られ、近所のひとがバラバラに割り当てられ、そのまま戻ってきませんでした。
ちょっとガラは悪いけど人間くさくて人情味のあった長田の下町は、大きな新しいビルの並ぶ街に変わりましたが、なんだか寂しくなったという人が多いです。
ひとが生きるということは、そこに仕事があるということですが、いま長田には仕事がありません。
ひとが住むということは、そこに文化があるということですが、これは人と人のつながりがないと育ちません。
お金がなくては生きていけませんが、お金だけあっても文化は育ちません。
そして生きている実感というのは、お金ではなくて文化が育むものだと思うんです。
いろいろと問題は山積していますが、しかし元のように活気のある長田にしたいと、地元の人々は頑張っています。
仕事を呼び込み、文化を育てようと知恵を絞っています。
その営みが続く限り、いつかまた、きっと住みよい長田の街が再生できるだろうと思います。
で、あの時の感動を引きずって、私もいまだに好きでもない太鼓を続けているというわけです。
震災ではなくとも、小泉改革で破壊し尽くされた暮らしや地方。どんな地域をつくるのか、どんな街を再生するのか・・みな、それぞれにいま問われています。
今日の夜は市議選勝利をめざす後援会の決起集会です。







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