「原発神話」は崩れたが、なぜそんなことがまかり通ってきたのか、原発とはなんだったのか・・・。こういうときは“そもそも論”が大事です。
5月10日、日本共産党の第4回「古典教室」で、不破哲三・社会科学研究所所長がおこなった講演で、原発災害について触れた部分が非常に好評です。「科学の目で原発災害を考える」と題して、その部分が共産党のHPでお読みいただけます。
毎日新聞 2011年5月21日 コラム『近聞遠見』で、岩見隆夫氏が、「不破哲三社会科学研究所長(81)の<原発災害講義>は出色だった。日本の原発について歴史的、体系的に振り返り、なにしろわかりやすい。」と不破講義を紹介しています。お持ち帰りしておきます。
近聞遠見:トイレなきマンション=岩見隆夫
1号機がどう、2号機がどう、と連日伝えられるが、さっぱり要領をえない。危険は減っているのか、増えているのか。
「原子炉の火は神様の火で手がつけられない」
と馬淵澄夫首相補佐官(原子力発電所問題担当)が述べた、と一部で報じられ、馬淵は否定したが、そう言いたくなる気持ちは分かる。
政府による情報処理の混乱が批判されている。菅直人首相以下が情報を隠しているのか、核心に触れた情報を持ち合わせていないのか、それさえはっきりしない。
原発情報は各メディアにもあふれている。しかし、どれも隔靴掻痒(そうよう)の感があって、この国難の乗り切りに不安が増すばかりだ。
そんななか、14日付の共産党機関紙「しんぶん赤旗」に3ページにわたって掲載された不破哲三社会科学研究所長(81)の<原発災害講義>は出色だった。日本の原発について歴史的、体系的に振り返り、なにしろわかりやすい。
不破が同党の書記局長、委員長時代、三木、大平、鈴木、小渕の四つの自民党政権下で追及してきた実績が講義の裏付けになっている。二十数年間、原発災害という同じテーマで質問し続けた唯一の政治家だ。長年の論戦の実感として、不破は、
「質問に答える政府側が、原子力の問題をほとんど知らないで済ませていることにあきれ続けた」
と述懐している。
最初の質問は1976年の三木政権下。当時、原発は6カ所に9基、さらに増設計画が進んでいた。不破は、
「原発の一つ一つが安全かどうかの審査をきちんとやっていると責任をもって言えるか」
とただし、佐々木義武科技庁長官が、
「十分やっている」
と答えた。ところが、審査体制を調べると、アメリカは1900人の技術スタッフがいるのに、日本は全員非常勤のアルバイト仕事。審査といっても設計図をみるだけだった。
さらに、福島原発でも大問題の使用済み核燃料についても質問したが、まともな答弁がない。いま、不破は、
「政府側がほとんど何も知らないことに驚いた。それから35年たっても、原発の後始末の面では何の手も打たれていない。だから、原発は<トイレなきマンション>と言われてきたのだ」
と語る。
80年(大平)にはスリーマイル島事故の教訓、81年(鈴木)は東海地震と浜岡原発、99年(小渕)は国際条約違反問題を取り上げた。だが、政府側の反応はすべて<安全神話>に浸りきったものだった。不破が言う。
「菅内閣の対応は本当にだらしなく、政権党として考えられない。しかし、こういう事態をつくり出したのは、2年前まで政権を担ってきた自民党だ。国民的大災害の根源である自民党の歴史的責任に口をぬぐい、今の対応だけを追及して済まそうというのは、あまりにも無責任な態度だと私は思う」
講義の最後で不破は次の二つの問題を訴えている。(1)原発からの撤退を戦略的に決断する(2)安全最優先の権限と責任をもった原子力の審査・規制体制を緊急につくりあげる(撤退しても後始末に少なくとも20年ぐらいかかるから)。(2)は当然、(1)は国民的な討論が必要になる。
原子力への理解を深めるためにも、不破講義の一読をおすすめしたい。分量は400字原稿用紙50枚ほど。
なお、不破は軍国少年のころ、作家志望から理系に転換する。軍艦に熱中し、造艦技師になりたかったからだ。東大理学部卒。(敬称略)=毎週土曜日掲載
TVでおなじみの方ですが、同記事より岩見隆夫氏の略歴紹介。
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岩見 隆夫(いわみ・たかお)
毎日新聞客員編集委員。1935年旧満州大連に生まれる。58年京都大学法学部卒業後、毎日新聞社に入社。論説委員、サンデー毎日編集長、編集局次長を歴任。








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